「共存」
なぜ肥料を使わないのかと訊かれる。その前に、なぜ農薬を使わないかを訊くべきだろうと思う。
僕の答えはいつも変わらない。農薬は、散布者にとって、とても危険な代物だからだ。
農薬は神経毒であり、強力な殺菌作用もある。どちらも大量に曝露(ばくろ=吸い込む、皮膚に付着するなど)すれば、当たり前のように、人間の浄化器官がダメージを受ける。
僕は遥か昔、住友3M社の防毒マスクのPVを制作していたが、本来農薬散布時には、防護服、防護メガネ、防護手袋、防護靴、そして、防毒マスクを装着しなければならない。
それだけ防護しなければならない農薬散布が安全なはずはない。ただし、これも必ず言うのだが、その農薬がかかった野菜が危険だとは言っていない。厳密な残留基準値があるからだ。それが信用できるのかは知らないが。
だから、僕は散布しない。畑では、無防備でいたい。野菜も虫も微生物も、みな無防備に畑にいる。そこに人間だけが完全防備でいる事は、僕には滑稽に見える。
肌で、土に、野菜に、草に、虫に、微生物に触れたい。僕は畑に癒しを求めてもいるのだから、そこにある全てのものと直接触れ合いたいのである。
肥料を使わない理由は、いつか枯渇する可能性があるからだ。もちろん、僕が生きているうちかは分からない。だが、いつかは枯渇するのは間違いないだろう。
窒素を空気中から固定するためには、天然ガスの水素が大量に必要となる。あるいは電力を多量に使用する。
リン酸はリン鉱石、カリウムはカリウム鉱石から作られる。これらも限りある資源であり、採掘、製造においては、もちろん膨大なエネルギーも使用するし、環境も壊す。
もちろん、生活の周りにあるものの多くが、過去の資源由来である事ぐらいは知っている。だが、僕は、減らす努力はしたいと常に思っている。
家畜排泄物を使用した有機肥料に関しては、遺伝子組換え作物由来の配合飼料によるものだから、僕は拒否する。種に特許がかかった作物など、栽培するべきではない。食料支配に繋がる可能性がある。
僕は何のために生きているのか?地球を食い物にするためなのか、それとも自然の恵みを享受するためなのか。
理想論と言われようが、僕は可能な限り、地球と共存する生き方を選ぶ。
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